表と裏・・・ 光と影・・・ 明と暗・・・ 平和なキャンパスに今も残る戦争の暗部 陸軍第九技術研究所(登戸研究所)
川崎市多摩区東三田、多摩丘陵の豊かな自然に囲まれた《明治大学生田キャンパス http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/ikuta/access.html》
その日は、猛暑の余韻を残す暑い1日だった・・・
キャンパス内は、夏休みだというのに、たくさんの若者がいた・・・
なんだろう・・・? イベントでもやっているのか・・・? 大きな荷物を持って制服を着た高校生らしき学生もたくさん歩いている・・・。
近くを通り過ぎていく大学生に、今日は何かイベントやってるんですかと声をかけてみた。
受験生向けのオープンキャンパスなんです 爽やかで優しい笑顔で答えてくれた。(やっぱり女子大生に声かけて良かった
)
たぶん、父兄が一緒の高校生は、地方から参加している学生だろうなーなんて思いながら、額を流れる汗を拭きながら目的のエリアに向かった・・・。 蝉の声が余計に暑さを感じさせる・・・
目の前の世界は・・・ 平和に満ちている・・・ 受験生に対して大きな声と最高の笑みを浮かべて説明している大学生たち・・・ その説明を不安と期待に満ちた眼差しで聞き入る受験生と父兄・・・
平和な夏の日のキャンパス・・・
暑さと・・・ 蝉の声が・・・ 僕を幼少時代の記憶までたどらせる・・・
毎年、終戦記念日が近づくと、テレビで終戦特別番組が流れ、それを見る度に、父から聞かされた話・・・
アメリカ軍の艦載機から、近くに機銃掃射をされた話・・・ パイロットの顔がわかるくらいまで戦闘機が低空飛行をしてきた話・・・ そして・・・ ここの近くに忍び込もうとした時に、、GHQのMPが突然目の前に現れ、ライフル銃を突きつけられた話・・・ そのMPからコーラと缶入りコンビーフを食べさせてもらった話・・・
当時の父は小学校の高学年だった・・・
なぜ、ここにGHQのMPが・・・ 65年ほど前のここ、明治大学生田キャンパス敷地には何があったのか・・・
それが・・・ 太平洋戦争時の日本軍の闇・・・ 暗部・・・
そういえば・・・多摩川の向こう側、狛江市と調布市は空襲があった・・・ 爆撃された・・・
調布飛行場や軍需工場があり、高射砲陣地もあった調布市ならまだわかるが・・・
軍事施設など少なかった狛江市も爆撃されながら、どうして・・・ 登戸周辺は爆撃されず、機銃掃射だけで済んだのか・・・ もしかしてこの謎を解く鍵がこれなのか・・・
当時の登戸周辺は静かな農村、それが表の顔なら・・・ ここは裏の顔・・・ だった・・・
今の平和で明るいキャンパスが光で明なら・・・ 当時のここは影であり暗であった・・・
戦前・・・ ここにはどんな歴史があったのか・・・
それが・・・ 日本軍が極秘裏に進めていた秘密戦のための研究開発機関《陸軍第九技術研究所》、通称《登戸研究所》だった・・・
もう、20年以上前の話になるが、旧満州国内で細菌兵器や化学兵器の人体実験や実際にそれらを使用したといわれる731部隊を題材にしたベストセラー《森村誠一》の《悪魔の飽食》以降、《登戸研究所》もにわかに注目され始めた・・・
それは731部隊との関連性が高い研究所であったため・・・
《登戸研究所》では、当時の日本軍が研究していた秘密作戦である、防諜活動・諜報活動・謀略活動・宣伝活動(プロパガンダ)を軸として、それを実行するための秘密兵器を研究開発していたことで有名となった。(戦時中は極秘扱い)
細菌兵器や化学兵器も研究されていたようだが、有名なものは、風船爆弾(戦争末期までに実際に9,000個以上が放球され、未確認ではあるが約1,000個程度がアメリカやカナダ、メキシコまで到達し、森林火災等を起こしたといわれているようだ)
実際に、オレゴン州では、不発弾として地上に落下していた風船爆弾に触れてしまい、女性1名、子供5名が爆弾の犠牲になったという記録が残っている。
おそらく、アメリカは国内がパニックになるのを恐れ、風船爆弾が日本から太平洋を越えて到達していることを伏せていたのだろうか・・・
和紙とこんにゃくノリで製造された風船に水素を封入し、高度10,000m上空を、ジェット気流(偏西風)でアメリカ大陸まで飛ばすなんて・・・ その発想と技術力の高さ・・・(汗)
そして・・・ 偽紙幣の印刷・・・ 蒋介石率いる中華民国の紙幣を偽造し、中華民国の経済を大混乱に陥れるという謀略にも荷担した・・・
実際に、偽紙幣を印刷していた建物がキャンパス内には現存している・・・
他にも、諜報活動用の小型盗撮カメラの開発・・・(カバン型やライター型等々)
さらにSF的な発想の秘密兵器の開発・・・ 怪力光線・・・
それは光線や電波・音波などを利用して、相手を傷つけたり、施設や構造物を破壊するといった秘密兵器・・・
戦争の裏側・・・
アメリカは、登戸研究所の存在を知っていたはず・・・ なぜ爆撃しなかったのか・・・
登戸研究所の職員や関係者(登戸周辺にも多く住んでいたらしい)、研究所そのものを無傷のまま残すつもりだったのかと思える・・・ 研究成果を押収し調査するために・・・
明治大学生田キャンパス内には、今も陸軍第九技術研究所(登戸研究所)の一部が現存し、戦争遺跡として残っています。
老朽化したそれらの建物を取り壊すという方針が明らかになった時、川崎市民の一部を中心に、戦争遺跡として保存を求める運動が起こり、明治大学は、2010年3月に、キャンパス内に《明治大学平和教育登戸研究所資料館 http://www.meiji.ac.jp/noborito/about/index.html》を開設し、無料で広く一般に公開をしています。
ここでは豊富な資料を揃え、当時の様子とその後をわかりやすくパネルで説明しています。
キャンパス内に現存するのは、弾薬庫、戦前の消火栓(帝国陸軍のマークが刻まれています)、動物慰霊碑(実験で失った動物の慰霊碑)、弥心神社(研究中や実験中に事故死した職員を祀る神社)等があります。
科学技術って人間を幸せにする技術である反面・・・ 戦争に利用され、戦争によって進歩してきました・・・
例えば・・・
第一次世界大戦では・・・ ダイナマイト・・・
第二次世界大戦では・・・ ジェット機(ジェット機は戦闘機が最初)
太平洋戦争では・・・ 原子爆弾・・・
こんなの一例に過ぎません・・・
科学技術が、人間の幸せのために、平和のためだけに利用されることを祈らないではいられません・・・。
戦争の狂気と・・・ 突拍子もない滑稽な発想・・・
ここにギャップを感じざるを得ません・・・
今回、ここに掲載する写真には、《登戸研究所資料館内》の資料も含まれますが、これは、入館時に書類申請をして許可を受けたものです。原則は写真撮影禁止ですのでご注意を。また、許可を取っても、著作権の関係上、撮影禁止になっているものがありますので、この点もご注意ください。
川崎市民の方はもちろん、一度、明治大学生田キャンパス内の《登戸研究所資料館》へ見学に行かれてはいかがでしょう?
資料館から出て、キャンパス内を歩いていると・・・ 学生たちの明るい笑い声、虫の鳴き声や木々や土の香りが・・・
平和の大切さを教えてくれると思います。
これからの時代が光に満ちた平和な世の中でありますように。
次世代、次々世代・・・ 未来永劫、日本の平和と繁栄を祈ります・・・
もちろん、地球全体がそうあって欲しいですね
*ここで僕が書いている記事は、登戸研究所資料館の資料を中心に参考とさせて頂いています。
*また、父から聞いた話、近隣の方から聞いた話、僕自身の推測も含まれます。
*僕自身の政治的思想や考え方や主義主張を表明しているものでもありません。
*偽紙幣印刷所として使用されていた建物(3枚セット)内部に写っている物品は、大学関係の備品類で登戸研究所とは無関係です。
*ここに掲載した写真の2次利用は厳禁です。
*登戸研究所資料館を見学されたい場合は、記事中のリンクから明治大学ホームページ内登戸研究所資料館のページをご覧頂き、一般公開カレンダーを必ずご確認ください。なお、大学には来場者用駐車場がありませんので、ご注意ください。周辺は駐車禁止区域となっています。
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今は 業種変わったけど 商店会に有った 精肉店の先代社長は そこで憲兵をしていたそうです。
投稿: tabisuki | 2010年8月23日 (月) 12時49分
キャンパスの中にこんな施設が有るのですかあ。
御膝元の学生たちの勉強や研究に活用されている事でしょうねえ…
ってこれって機密の事でしたね。公には学生の勉強には使用できない事?
今の日本にはスパイとして活動する日本人はいないと聞きましたが、わかりませんね。
何処かにそれこそスパイの養成所があったりして。
夫の友人で防衛庁に居た人は情報を集める事がお仕事だったとか・・・
どこまでをどうやってかはわかりません。
投稿: 子犬大好きケイ | 2010年8月24日 (火) 12時09分
tabisukiさん、有名な話ですよね。
憲兵隊の軍曹だったとか・・・
あだ名も軍曹でしたもんね。
投稿: ひでちゃん | 2010年8月30日 (月) 23時25分
子犬犬好きケイさん、そうなんです。
意外と、古くから川崎市多摩区周辺に住んでいた方でも
知らない方が多いんです。
参謀本部直轄のすごい研究所だったんですが・・・
投稿: ひでちゃん | 2010年8月30日 (月) 23時27分